生活

【バンコク在住者が語る】2021年コロナの教訓と今後の個人としての生き方

歓楽街タニヤはいつ復活できるのか

タイは比較的コロナの封じ込めに成功していた。しかし、2021年の1月以降ゆるみが見られ、ついに4月にはナイトクラブなどでクラスターが起きた。さらに、7月からはデルタ株の流行が拍車をかけ、2021年8月では毎日約18000人の感染者が出ている。感染者の数に注目しすぎるのはどうかと思うものの、まあこれだけ増えてしまったのである。2020年にはゼロをつけていた日もあったのに。

もう今さら何がいけなかったのかは振り返るつもりはない。新聞の社説は、政府の批判ばかりしているけれど、政府の対応は良い面も悪い面もあったのだろう。問題は、これから、個人としてどうするかである。国や政府、自治体に頼っていては明るい未来はない、と誰もが気づいたのではないだろうか。今日は、コロナを教訓に、どんなことを考えて生きていけば幸福に近づけるのか検討していく。

どこに住むかで安全・安心が変わってくる 先進国vs発展途上国

住む場所は、めちゃめちゃ重要である。筆者は、今タイにいるものの、アメリカやシンガポールで生活したことがあり、その様相はやはり異なる。

今回のコロナの感染状況やワクチンの配布状況は国によって大きく異なることとなった。高所得の国と低所得の国では、普及率がまったく異なるし、対応方法も違う。

例えば、日本とベトナムを比べてみよう。日本は、コロナが流行してもだらだらと対策し、ワクチンも進めていなかったが感染はあまり拡大しなかった。今になってワクチンを急速に進めているが、重症患者は抑え込んでいるのかもしれない。

他方で、ベトナムは2020年の当初から社会主義パワーのもと、強権を発動して厳格な隔離措置を行った結果、ゼロに近いほど感染を抑え込んだ。しかし、デルタ株の前には成す術なく、今はあらゆる国からワクチンの供給を待っている状況だ。

ここでわかるのは、国によって、方針が全然変わっちゃうことだ。上の例では、どちらの国がいいとかを論じるつもりはない。ただ、金を持っている日本は、いざとなればワクチンを大量に買えるので、まあダラダラいきましょうと行けるわけだが、ベトナムの方はできるだけ財政を圧迫しないように、徹底的に管理して対策しましょう、という意図があったように思える。やはりともいうべきか、お金を持っている国はいざというときに強く、その国に住んでいる人も安全な政策が期待できる

病院についてもそうだ。先進国は医療体制が整っている。どれだけコロナ対策をしても、病気になればやはり病院に行かざるを得ないし、現地で治療を受けることになる。その際に、まともな治療を受けることができるのは、やはり先進国である。

ベトナムは、医療があまり進んでいないことも自ら認知していたはずで、だから強権を発動してまで先んじて封じ込めに動いたのだろう。感染をできるだけ抑え込んで医療が逼迫しないようにしていたのだと思われる。その結果、経済へのダメージも最低限にできており、アジアの中では軽傷といってよいレベルだった。

住む場所を決めるうえで考えること

話が長くなってしまった。何が言いたかったかというと、コロナがあろうがなかろうが、医療が進んでいる国にいた方が安心です、ということ。そして、医療に限らず住む場所を決めるときは、自分にとって何が必要かよくよく考えた方が良い。私が考えるポイントは次のとおり

  • 人間の質
  • 食べ物
  • 自然

人間の質

まず、人間の質。これを見極めなければならない。見極めるには、現地に住んで交流することが必要だ。私は、アメリカ人の二枚舌や、中華系の勤勉ながら自分が一番だと思ってそうな感じ、タイ人の素直で楽(らく)をしていこうというクールなところなどは、住んでいたからこそわかったことである。もっといえば、現地の人と現地の立場で付き合うことが見極めに重要だ。日本人として付き合っていては彼らの本音は聞けない。

なぜ、人間の質が重要なのか。端的に言えば、人間は何するかわからない生き物でありコワいので、自分に害を及ぼさない人かどうかを見極めるということなのだ。若干偏見は入るが、いまだにテロなり、紛争なりをしている地域には、短気で、硬直的な考え方をする人が多いと個人的に考えている。これは、その人自体が悪いというのではなく、まわりの環境がそうさせているともいえる。教育の環境が整っていないことも理由としてあるかもしれない。

人間の質を見極めるもうひとつの目的は、自分が彼らと人間関係を築けるかどうかを判断することもある。生活の質を上げ、幸福度を高めるためには充実した人間関係が必要だ。何をもって充実しているかどうかは人それぞれであり、私のように少人数でも深い人と付き合う人もいれば、浅く広く付き合うという人もいるだろう。ここで、一つ重要なのは、人間関係に幅を持たせることだ。ずっと同じ友人と仲良くするのはすごく良いことである反面、同じ情報しか入ってこないということでもある。

では、どうすれば、人間関係に幅を持たせられるか。それは、新しい環境にどんどん飛び込んでいくことである。新しい趣味を持つでもいいし、住む場所、働く場所を変えれば自然と関わる人も変わってくる。実際、私はシンガポールで働くことで現地の人と知り合うことができた。今でも付き合いがあり、自分として成長したような、一種の優越感にも似た感情がある。

食べ物

食べ物も超重要。人間、食べるものがなければ、その他がどれだけ充実していても生きていけない。健康でいられない。じゃあ、食べられるものがあればいいっていうわけにもいかない。自分が慣れ親しんだ食べ物があるかどうかはやはり幸福度や健康に密接に関係してくると思う。

タイとシンガポールを比較してみると、どちらも日本食のお店は多かったが、タイの方が圧倒的に多いと感じる。また価格も安く、手軽に利用できる。シンガポールやアメリカではどうしても日本食を食べると高い。ちょっといいところに行くと、すぐに100ドルを超えてしまう。

もちろん、自分の国を出る場合は、ある程度の妥協も必要だ。ただどこまで妥協できるかは実際にお試しで住むなりして考えてほしい。自分の好きなものを食べられないのは、きつい人にはきつい。私の友人は、どうも日本食を食べないとダメらしく、日本食材店でよく高い値段を出して買っていた。お昼や夕飯も日本食がいいと言い、付き合わされる私も高い値段を出す羽目になった(笑)。

別に高い値段を出してもへっちゃらだ、という人にはいいだろう。ただ、そんな人は少数だと思われるので、できれば安く日本食を食べられる国、また日本食でなくてもイタリアンや中華でもいける、というようにできると金銭面でだいぶ暮らしが安定すると思われる。

海外に住むのであれば、海外の食事をバラエティに楽しんだ方がよいのでは、というのが筆者の意見である。バラエティにいろいろな国の食べ物が食べられる場所を選ぶヒントは、そこに生活している人の人種を見ることである。例えば、アメリカやシンガポールは他民族国家であるので、自ずといろいろな国のご飯を出すレストランがある。一方で、単一民族の国家は、あまり種類がない。ただ、中華はどこにいってもあるというのが、私の経験上の話だ。旅行者には、中華の存在が本当に助かる。

自然

最後に自然について。これは、私独自の思いがあるかもしれない。都会に住むことが多かった私。でも、長続きはしないかもしれない。そう思っていた。都会に住めば仕事はあるし、お給料もそこそこ良い。食べ物もお金を出せばおいしいものがある。洋服など好きなものも手に入りやすい。ただ、これを何十年と続けるのか。。。?

お金をためることが目標?

少し脱線して、ホリエモンと経済評論家の山崎元の対談でこんなことを言っていた。我々は、必要ないものを買わされているんだと。まわりの様子を見ながら相対的に生活の質が落ちないようにしているとも。この対談でわかったことは、本当に生きるために必要な物を買うだけでは、実はそんなにお金はかからないのだなと。洋服や時計、宝石、車などは、買わされている、あるいは買うようにマインドセットされているともいえる。

話を戻すと、世間体とか、お金とか実体がないものに固執していくと、人間は崩壊していくのではないかとさえ思うようになってきた自分である。歩きながら夢中でスマホを見ている人。一心不乱に見ている。気が狂っているのではないかと思うときすらある。何が彼女、彼をそんなに夢中にさせてしまうのか。

今は、リモートでコミュニケーションもできるというが、所詮、画面越しにスピーカーから出ている音を拾っているだけなので、実際のところはやはりわからない。ここでいう実際とは、相手がどんな表情、声質、雰囲気、態度などである。最低限のところはもちろんわかった気でいるけど、やはり本当かどうかはわからない。それらは、あくまで画像とスピーカーを通して見て、聞いたものでしかないので。自分もそうだけど、上半分だけきちんとした服着ていて、下半身はパンツ一丁というのもあるし。

お金も実体があるようでない。お金は、それ自体に価値があるのではなく、物を買うといった権利を持つということである。手段に過ぎない。お金は単なるコインや紙、あるいは画面上に出てくる数字に過ぎないのである。

自然の魅力とは:その中立性

では、何が普遍的に実体があるのかというと「自然なのである。自然は常に中立的であることでも知られる。災害を起こすこともあるが、癒しにもなる。そんなところが私の性に合っているのかもしれない。

自然がいくら重要だからといって、ジャングルに住みたいと言っているわけではない。都会と自然のバランスがとれた場所がいいのではないか、ということだ。人間、誰しもなんかしらバランスをとっているように思う。人は、ずーっとオフィスや家に閉じこもっているわけではなく、時には公園や海に出かけることをしている。本当に都会が快適であるはずならば、公園や海に行かなくてもよいはずだ。でも、都会に住み続けることは本能的に違うと思っているのだろう。ねずみ色のビルヂングに囲まれているのが異常であると、どこかで気づいているんだよ、きっと。

ABOUT ME
kiwami
海外在住経験を活かし、海外移住をもっと広めたい。 旅行、スポーツ、写真などのネタを投稿
こちらの記事もおすすめ!!

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です