赴任して最初の半年、私はずっとイライラしていた。
会議に平気で遅れてくる。報告が来ない。「わかりました」と言ったのに、やっていない。直接聞いても「問題ありません」と言う。だが問題は山積みだった。
「なんでこんな簡単なことができないんだ」
そう思っていた。だが数年後、気づいた。できていなかったのは、私の方だった。
彼らの行動には、きちんと理由があった。その理由を理解しようとしなかった私が、一方的に「不合理だ」と決めつけていただけだった。
目次
- 事例①:会議に遅れてくる
- 事例②:問題を報告しない、隠す
- 事例③:「Yes」と言ったのにやらない
- 事例④:仕事より家族・宗教行事を優先する
- 事例⑤:回り道をする、直接言わない
- 「合理性」の基準は誰が決めるのか
- 駐在員が陥る「俺の方が正しい」罠
- まとめ——「理解できない」を入口にする
事例①:会議に遅れてくる
バンコクに赴任してすぐ、午前10時の会議に主要メンバーが誰一人時間通りに来ないという経験をした。10分後に一人、15分後にまた一人。悪びれた様子もない。
「時間にルーズな国民性だ」と片付けるのは簡単だ。だが、少し待ってほしい。
バンコクの交通渋滞は世界でも屈指だ。車で15分の距離が、朝のラッシュ時には1時間かかることもある。BTSやMRTが整備されてきたとはいえ、スタッフの多くは郊外から通勤している。
さらに、タイ文化では「今ここにいる人」を優先する傾向がある。廊下で上司に声をかけられたら、その場で対応する。会議の開始時刻よりも、目の前の人間関係を大切にする。
合理的かどうかは、何を優先するかによって変わる。「時刻」を優先するか、「関係性」を優先するか——それは文化によって異なる。どちらが正しいという話ではない。
ちなみに私がとった対応は、「会議は15分後に始まる」と案内するようにすることだった。実用的な解決策だ。
事例②:問題を報告しない、隠す
これは多くの駐在員が頭を抱える問題だ。明らかにトラブルが起きているのに、誰も報告してこない。聞いても「大丈夫です」と言う。後になって発覚して、手遅れになる。
「なぜ早く言わないんだ!」と怒鳴りたくなる気持ちはわかる。だが、彼らの立場から考えてみよう。
タイ文化には「クレンジャイ(เกรงใจ)」という概念がある。相手に負担をかけないよう、気を遣う心のことだ。問題を報告することは、上司に迷惑をかけることだと感じるスタッフは多い。
さらに、「面子(メンツ)」の問題もある。自分のミスや失敗を報告することは、自分の無能さを晒すことだ。人前で恥をかくことへの恐れが、報告を遅らせる。
加えて、過去に正直に報告して怒られた経験があれば、報告しない方が安全だと学習する。これは合理的な自己防衛だ。
この問題を解決するために私が実践したのは、「報告してくれたこと」を褒める文化を作ることだった。悪いニュースを持ってきたスタッフを怒らず、「教えてくれてありがとう」と言い続ける。半年もすれば、報告の頻度は劇的に変わった。
事例③:「Yes」と言ったのにやらない
「わかりました」「できます」「問題ありません」——そう言ったのに、翌日確認すると手つかずのまま。
これも多くの駐在員が経験する「あるある」だ。「嘘をついた」「信用できない」と感じる人も多い。
だが、これも文化的な背景がある。
タイ語には「マイペンライ(ไม่เป็นไร)」という言葉がある。「大丈夫」「問題ない」「気にしないで」という意味で使われる、非常に広い意味を持つフレーズだ。この感覚が、英語や日本語でのコミュニケーションにも滲み出る。
「Yes」は、「あなたの言っていることを理解しました」「あなたの気持ちを受け止めました」という意味で使われることがある。「必ずやります」という確約ではない場合がある。
また、「できません」「わかりません」と言うことは、相手を失望させることだという意識もある。だから、できるかどうかわからなくても「Yes」と言ってしまう。
解決策は、「Yes」のあとに具体的な行動と期限を確認することだ。「いつまでに、何を、どうやってやるか」を一緒に確認することで、曖昧な合意が具体的なコミットメントに変わる。
事例④:仕事より家族・宗教行事を優先する
重要なプレゼンの前日に「親の法事があるので明日は休みます」と言われた経験がある駐在員は多いはずだ。
日本の感覚では「空気を読め」と言いたくなるかもしれない。だがタイでは、家族と宗教は、仕事より上位にある価値観だ。これは怠慢ではなく、優先順位の問題だ。
タイは仏教国であり、僧侶への布施や寺院への参拝は日常生活に深く根付いている。特に親族の法事や入院、子どもの学校行事は、仕事のどんな予定よりも優先されることがある。
ある優秀なスタッフが、重要な会議の当日に突然欠席したことがあった。理由を聞くと、母親が急病で入院したという。「なぜ事前に言わなかったのか」と聞くと、「昨夜急に決まったので」との返答。
これは怠慢か?違う。家族を最優先にするという、一貫した価値観の表れだ。そしてその価値観は、実は人間として非常に真っ当なものでもある。
日本では「仕事のために家族を犠牲にする」ことが美徳とされてきた。だがそれが本当に合理的かどうか、改めて考えてみる価値はある。
事例⑤:回り道をする、直接言わない
「結論から言ってくれ」と思ったことは何度もある。
何かを伝えたいとき、タイ人スタッフはしばしば遠回りな言い方をする。直接「これは問題です」と言わず、状況説明を延々と続ける。批判をするときは、必ず褒め言葉から始める。反対意見を言うときも、まず同意する。
これは「面子を傷つけない」ための高度なコミュニケーション技術だ。
タイ社会では、相手の顔を潰すことは深刻な失礼にあたる。だから批判は間接的に行う。問題提起は柔らかく包む。これは「はっきり言えない弱さ」ではなく、「相手への配慮」だ。
日本でも「空気を読む」文化はあるが、タイのそれはさらに洗練されている。
私がある件でローカルスタッフから「少し気になることがあって…」と前置きされたとき、最初は流してしまいそうになった。だが経験上、その「少し気になること」は実は重大な問題だと学んでいたので、立ち止まって聞いた。案の定、大きなトラブルの予兆だった。
遠回りな言い方こそ、実は重要なシグナルであることが多い。それを聞き取れるかどうかが、駐在員の力量を分ける。
「合理性」の基準は誰が決めるのか
ここまで5つの事例を見てきた。共通しているのは、「不合理に見える行動が、別の価値観の軸から見ると完全に合理的である」という点だ。
「合理性」とは、ある目的に対して効率的かどうかを示す概念だ。だが、その「目的」が異なれば、合理性の判断も変わる。
日本式の合理性は「組織の目標達成」を最優先に置く。タイ式の合理性は「人間関係の維持」「面子の保全」「家族・信仰の尊重」を優先することがある。どちらが正しいという話ではない。ただ、優先順位が違う。
そして忘れてはいけないのは、日本式のやり方がグローバルスタンダードではないということだ。むしろ、家族を犠牲にして働くことや、人前で怒鳴ることを「当たり前」とする文化の方が、世界的には異質だ。
駐在員が陥る「俺の方が正しい」罠
前回の記事(長期駐在でバグる話)とも重なるが、多くの駐在員は「自分のやり方が正しく、ローカルのやり方が間違っている」という前提から出発する。
これが最大の罠だ。
ローカルのやり方を理解しようとせず、「なぜ日本式にできないんだ」と押し付ける。当然、ローカルスタッフは反発するか、表面だけ従って内心では従わなくなる。組織はうまく機能しない。
逆に、ローカルの行動の背景にある論理を理解した上で、「では、お互いにとってより良いやり方は何か」を一緒に考えられる駐在員は、現地スタッフから深い信頼を得る。
「なぜそうするのか」と問い続けることが、すべての出発点だ。
まとめ——「理解できない」を入口にする
「理解できない」と感じる瞬間は、実は最高の学習機会だ。
その違和感を「こいつらはおかしい」で終わらせるか、「なぜそうするのか」を考える入口にするか——それが、海外で成長できるかどうかを分ける分岐点だ。
東南アジアで長く働いてきて気づいたのは、ローカルスタッフの行動の多くに、深い知恵が込められているということだ。長年その社会で生き延びてきた人々の、集合的な知性だ。
私たち駐在員は、せいぜい数年しかその土地にいない。謙虚に学ぶ姿勢を持ち続けることが、結局は最も「合理的」な選択だと思う。
この記事は「新任駐在員に伝えておきたい100のこと」シリーズの一部です。東南アジアでの職場・生活・ビジネスについて、10年以上の経験をもとに発信しています。
