「内部統制の欠如」を理由に会社を罰する仕組み、そして、それを支えるコンプライアンスの課題をまとめます。
学習メモです。条文・数字は授業スライドに基づきます。法的助言ではありません。日本法との比較は今回は省いています。「5. 私の見方」は、授業の内容ではなく、学習者としての私見です。
1. タイの贈賄規制:2つの法律が重なる
贈賄(active bribery、贈る側)と収賄(passive bribery、受け取る側)は、別々の条文で処罰されます。タイでは、刑法典と、2018年の汚職防止法(憲法付属法、Organic Act)の両方に規定があります。
| 刑法典 | 汚職防止法(2018年) | |
|---|---|---|
| 贈賄側 | 144条:公務員等に財産・利益を与え、職務を不正に行わせようとする。5年以下の拘禁または10万バーツ以下の罰金(併科も可)。 | 176条1項:公務員、外国公務員、国際機関職員に利益を与え、不正な職務行為を促す。刑は144条と同じ水準。 |
| 収賄側 | 149条:公務員が利益を要求・受領する。職務が不正かどうかは問わない。5〜20年、無期、または死刑、罰金10万〜40万バーツ。 | 173条:同様。5〜20年または無期、罰金10万〜40万バーツ。外国公務員・国際機関職員も対象。 |
| 会社の処罰 | 規定なし(一般規定がないため) | 176条2項:内部統制がなかった会社を処罰 |
国連腐敗防止条約(UNCAC)は、2003年に採択され、タイは2011年に批准しました。公務員への贈収賄(15条)は、犯罪化が義務ですが、民間部門の贈収賄(21条)は、犯罪化を検討する義務にとどまります。OECD外国公務員贈賄防止条約(1997年)は、外国公務員への贈賄という「供給側」に焦点を当てています。
収賄の刑が死刑まで含むのに対し、贈賄の刑は5年以下と軽いことに注意。収賄は公務員という特別な地位の濫用として、重く処罰されます。
2. 海外の2大法:FCPAと英国贈収賄法
タイ企業でも、海外の法律の対象になることがあります。授業では、次の2つが「実務上もっとも重要」として取り上げられました。
| 米国FCPA(1977年) | 英国贈収賄法(2010年) | |
|---|---|---|
| 内容 | 贈賄禁止と、正確な会計記録(SEC)。 | 英国の従来の贈賄法をすべて置き換え。 |
| 適用範囲 | 当初は米国人と米国上場企業。1998年に、米国内で行為・滞在する外国企業・外国人にも拡大。 | 域外適用が広い。7条の罪は、行為が英国内か外かを問わない(12条5項)。英国で事業の一部を行う法人が対象。 |
| 少額の円滑化費用 | 日常的な政府の行為を促すための「facilitating payment」は例外。 | 例外なし。 |
| 会社の責任 | 役員・従業員・代理人の行為を通じて処罰。 | 7条:関係者(associated person)の贈賄を防止しなかった会社は有罪。厳格責任だが、「適切な手続」の抗弁がある。 |
Hoskins事件:外国人はどこまで対象か
英国人のHoskinsは、フランスのAlstom社の幹部でした。Alstomの米国子会社が雇ったコンサルタントを通じて、インドネシアの公務員に贈賄しましたが、彼自身は、米国で働かず、米国を訪れてもいませんでした。裁判所は、共謀罪だけでは、FCPAの適用範囲外の外国人を処罰できないとしました。その後、控訴審(2020年)は、Hoskinsは米国子会社に雇われておらず、同社は彼を解雇する権限もなかったので、代理人(agent)ではないと判断しました。結論として、外国人がFCPAで責任を負うのは、FCPAの対象者の代理人として行為した場合に限られます。
3. 3つの「内部統制の欠如」型の規定
会社の内部統制を問題にする立法は、3か国で、組み込み方が異なります。前回見た、「落ち度をどう組み込むか」の具体例です。
| タイ 汚職防止法176条2項 | 英国 贈収賄法7条 | 米国 量刑ガイドライン§8B2.1 | |
|---|---|---|---|
| 位置づけ | 有罪の要件 | 会社が証明する抗弁 | 量刑を軽くする事情 |
| 内容 | 適切な内部統制措置がなかったとき、会社を処罰する。 | 適切な手続を備えていたことを会社が証明すれば免責。 | 有効なコンプライアンスと倫理のプログラムがあれば、量刑上の有利に働く。 |
| 罰則 | 損害または利益の1〜2倍の罰金。 | 罰金に上限なし(授業のまとめ)。 | — |
| 立証責任 | 条文上は、誰が立証するか明らかでない。 | 会社側。 | — |
なお、米国の基準では、犯罪が起きた事実だけで、プログラムが無効だったことにはなりません。条文は、「犯罪を防止・発見できなかったことは、プログラムが全般的に有効でないことを必ずしも意味しない」と書いています。
4. コンプライアンスとは何か、どう作るか
授業では、Arellano-Gault & del Castillo(2023)の暫定定義が紹介されました。コンプライアンスとは、法令違反や非倫理的行動を防止・発見するための、方針、手続、内部統制を定める、公式のプログラムです。守る対象は、法律(hard law)だけでなく、基準やガイドライン(soft law)、顧客の期待、倫理も含みます。
作り方の6段階
- リスクの洗い出し(mapping risk)
- 禁止行為の定義
- 管理職と従業員の義務の設定
- 警告と報告の手続の整備
- 制裁など、違反への対応の設定
- 社内のモニタリング、統制、評価
タイの基準:NACCのガイドライン
176条2項の「適切な内部統制措置」の中身は、条文からは分かりません。そこで、国家汚職防止委員会(NACC)のガイドラインが、次の8原則を示しています(スライドでは「2017年」と表記されています)。
| # | 原則 | # | 原則 |
|---|---|---|---|
| 1 | 目に見える方針と、経営トップの支持 | 5 | 正確な帳簿と会計記録 |
| 2 | 効果的な贈賄リスク評価 | 6 | 人事方針による補完 |
| 3 | リスクの高い分野への強化措置 | 7 | 通報を促す連絡手段 |
| 4 | 取引先への適用 | 8 | 効果の定期的な見直し・評価 |
このガイドラインは、広い言葉で書かれています。授業では、「法的な位置づけはどうなるのか」という問いも出されました。裁判所が、ガイドラインを満たせば「適切」と判断するのか、それ以上を求めるのかは、条文からは分かりません。
国際的な基準としては、ISO 19600(2014年、コンプライアンスマネジメントシステム)と、ISO 37001(2016年、贈賄防止マネジメントシステム)があります。
5. コンプライアンスの影:3つの批判
(1)「統制の統制」:書類が現実の代わりになる
Kuldova(2022)は、現在の規制の多くが、「内部統制の仕組みが存在するか」を見ていて、現場で何が起きているかを見ていない、と指摘します。規制の対象は、現実ではなく、統制の書類(proof)になります。これを、「統制の統制(control of control)」と呼びます。書類が整っていれば、現場で贈賄があっても、「適切な措置はあった」と主張しやすくなります。176条2項や英国7条の抗弁が、形式的な書類整備に流れる危険は、ここにあります。
(2)過剰なコンプライアンス:デリスキング
リスクを避けるために、顧客を一律に排除する対応を、デリスキング(de-risking)といいます。世界銀行は、これが送金業者や小国の銀行を国際金融から切り離し、取引が規制のない経路に流れ、かえって透明性を下げる、と警告しています。コンプライアンスの目的と、結果が逆になる例です。
(3)社内調査:司法の民営化?
会社が、外部の弁護士などの助けを借りて、自ら犯罪を調査することを、社内調査(internal investigation)といいます。目的は、違法行為を止めること、当局に協力して家宅捜索を避け、刑を軽くすること、評判を守ることです。例として、シーメンスの調査(2006〜08年)は、1,750件の聴取、34か国、8,200万件の文書の電子検索、弁護士費用14億ドルという規模でした。
問題は、社内調査が私的な調査なので、刑事手続の保障が及ばないことです。授業では、次の論点が挙がりました。
- 従業員の協力義務と、黙秘権・公正な裁判を受ける権利の衝突。
- 会社が約束する「免責(amnesty)」の効力。
- 弁護士・依頼者間の秘匿特権の範囲(やり取りの全部か、狭い意味の刑事弁護に限るか)。警察や検察が、調査の資料にアクセスできるか。
AML(資金洗浄対策)でも似た問題があります。FATF勧告22は、弁護士や会計士にも、不動産売買などの取引で顧客確認を求めます。タイは、これに不適合だと評価され、弁護士を報告義務に含める改正案が出ています。そこでも、秘匿特権との衝突が論点です。
6. 私の見方:内部統制型は支持、ただし「中身」を見る仕組みが要る
会社の責任に、内部統制の欠如という「会社自身の落ち度」を組み込む176条2項の発想は、責任主義にも、予防という政策目的にも合っていると思います。ただし、書類の整備で済ませる運用にならないよう、中身を見る仕組みが要ります。
- 賛成の理由:従業員の違法行為を、会社の責任にするには、会社に落ち度があることが望ましい。内部統制の整備は、犯罪の予防という目的にも直結する。
- 懸念:「適切」の基準が曖昧だと、会社は過剰に防衛的になる。逆に、書類さえあれば免責されるなら、形だけの整備が増える。
- 対策の方向:NACCのガイドラインのように、具体的な基準を示す。そのうえで、トップの関与、リスク評価、通報の実績など、運用の実態を問う。
- 立証責任:176条2項は、内部統制の欠如を誰が立証するかを書いていません。無罪推定の観点からは、検察側が立証すると解するのが自然ですが、条文で明確にすべきです。
7. 実務へのポイント
- 8原則を自社の点検表にする。トップの方針、リスク評価、取引先への適用、帳簿、人事、通報、見直しの8項目を、実際に運用している証拠(議事録、研修記録、通報件数)とともに残す。
- 第三者(代理人・コンサル)の管理が最大のリスク。TSC事件のGAのように、会社の代わりに動く者の行為も、176条2項の「会社に関係する者」に含まれる(権限の有無を問わない)。契約、報酬、監査の仕組みを見直す。
- 少額の円滑化費用の扱いを決める。米国では例外だが、英国では例外なし。タイ法に同様の例外があるかは、授業では示されていないので、確認が必要。グローバルに事業をするなら、厳しい方に合わせて、全面禁止にするのが安全。
- 海外法の域外適用を意識する。英国で事業の一部を行えば、タイの会社でも、英国法7条の対象になりうる。
- 社内調査の設計。調査の目的、従業員への説明(黙秘権や弁護士同席の扱い)、秘匿特権の確保、当局への資料提供の方針を、事前に決めておく。
